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令和3年(行ケ)第10080号 審決取消請求事件

特許判例紹介

~当業者が引用発明及び周知技術に基づいて本件発明の構成に容易に想到し得たとして、
特許無効審判請求を不成立とした審決を取り消した事例~

令和3年(行ケ)第10080号 審決取消請求事件
  原告:株式会社SO-KEN
  被告:Y
  【請求認容(特許無効)】

■ポイント

無効審判によって他人の特許を無効にしたい場合に、新規性を否定し得る同一技術の先行文献が見当たらないとしても、周知技術を丹念に積み上げることで、進歩性否定の方向にもっていくことが十分可能である。

1.手続の経緯

平成27年12月17日 特許出願
平成30年11月30日 設定登録(特許第6440319号)
令和元年9月20日 原告が無効審判請求(無効2019-800072号)
令和3年5月18日 請求棄却審決
原告が審決取消訴訟を提起

2.本件発明の概要

【請求項1】
入射光をそのまま光源方向へ再帰反射する黒色の再帰反射材と、前記再帰反射材の表面に印刷により形成された図柄からなる透光性の印刷層と、を備えることを特徴とする図柄表示媒体。

本件発明は、通常の照明下では図柄等を視認できないが、カメラのフラッシュライトや指向性の高い懐中電灯等の相対的に強い光源で照らすだけで光源方向からフルカラーの図柄等を視認することができるものである。

(本件図面)
12 印刷層 20 再帰反射シート 11 減光シート

3.本件審決の理由の要旨

≪進歩性について≫

  • 甲4発明の認定
    「溶剤インクジェット印刷を施すことにより印刷層を形成することができる黒色の再帰反射フィルム」
    ※甲4について
    米国 FLEXcon 社が平成19年11月から平成20年5月に頒布したカタログである。
    表紙には、「REFLECTAmark – Reflective Pressure-Sensitive Film Series」と記載されている。
    2頁目には、「Fleet(車両)/Vehicle – Fleet Graphics」、「Fleet Marking Grade Reflective Pressure-Sensitive Film –Sheet Form」との表題の下、フィルムに文字や図柄が印刷されたステッカー等が消防自動車様の車両に貼付された様子を撮影した写真が掲載されるとともに、「色が選べます:黄、緑、青、赤、オレンジ及び黒」との記載及び「従来の印刷手法に加え、溶剤及びUVインクジェットに対応しています」との記載がある。
    4頁目には、「Fleet Marking Grade [FMG]」との表題の下、黒色を含む7色の商品サンプルが貼付され、また、「Fleet Marking Grade [FMG]」の用途として「vehicle graphics」との語が用いられている。

  • 本件発明と甲4発明との対比
    (一致点1)
    「入射光をそのまま光源方向へ再帰反射する黒色の再帰反射材と、前記反射材の表面に印刷により形成
    された印刷層を備えることを特徴とする表示媒体」
    (相違点1)
    印刷層に関して、本件発明が「印刷により形成された図柄からなる透光性の印刷層」を備えるものであるのに対して、甲4発明は「溶剤インクジェット印刷を施すことにより形成された印刷層」である点

  • 相違点1についての検討
    甲4発明において、通常の照明下では視認し難く、通常の照明下で現れる印刷層を実現する「黒色の再帰反射フィルムに透光性の印刷層を形成する」という組み合わせを導き出せるものではなく、甲5の1等によっても黒色の再帰反射フィルムに透光性印刷層を備えるものが開示されていたということはできないことから、本件発明は、甲4発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものということはできない。

4.原告の主張

(1)甲4発明の認定の誤り
甲4発明を「溶剤インクジェット印刷を施すことにより透光性の印刷層を形成することができる黒色の再帰反射フィルム」と認定するのが相当であるから、本件審決の認定は誤りである。
甲4には「溶剤インクジェット…印刷に対応しています」との記載があるところ、一般的なインクジェット印刷(透光性のCMYK(シアン、マゼンタ、イエロー及びブラック)のインクを用いたフルカラー印刷)において印刷層が透光性を持つことは、インクジェット印刷の原理(甲18~20)やインクジェット印刷の使用例(甲21、22の1)により当業者にとって当然の理であるから、甲4の上記記載に接した当業者は、甲4の再帰反射材がインクジェット印刷を施すことにより透光性の印刷層を形成するものと理解する。

5.被告の主張

甲4発明の認定の誤りについて、甲4には、「溶剤インクジェット印刷を施すことにより印刷層を形成することができる」ことが記載されているにとどまり、黒色の再帰反射フィルムに透光性の印刷層を形成することができるとの明示的な記載はないし、透光性の印刷層を用いるとの技術思想も開示されていない。かえって、文字等を浮き上がらせるためには非透光性の印刷層を設けるのが最も適しているから、甲4発明の用途(トラックを始めとする車両に貼付されるステッカーやマーキング)に照らすと、これに透光性の印刷層を設けることは考えられない。したがって、甲4に黒色の再帰反射フィルムと透光性の印刷層とを組み合わせることの記載があると認めることはできない。

6.裁判所の判断

(1)甲4発明の認定について
甲4に「溶剤インクジェット印刷を施すことにより透光性の印刷層を形成することができる黒色の再帰反射フィルム」が記載されているかにつき検討する。
印刷層の形成に関し、甲4には「従来の印刷手法に加え、溶剤及びUVインクジェットに対応しています」との記載があるのみであり、溶剤インクジェット印刷が非透光性のインクを用いたものに限られるとの記載又は示唆はみられない。
ここで、溶剤インクジェット印刷の意義等に関し、下記の各証拠には、それぞれ次の記載がある。
(ア) 甲18(全日本印刷工業組合連合会(教育・労務委員会)編「印刷技術」(平成20年7月発行))
「カラー印刷では基本的にCMYKの4色によって原稿の色を再現している。この4色をプロセスセットインキと呼び、このうちCMYは透明インキとなっているので刷り重ねで印刷した場合、下のインキの色が一緒になり2次色、3次色が発色する。」
(イ) 甲19(高橋恭介監修「インクジェット技術と材料」(平成19年5月24日発行))
「インクの色剤としては染料、顔料を挙げることができる。…染料は媒体である水に可溶であり、分子状態でインク媒体中に存在している。個々の分子が置かれた環境はほぼ同一であるため、吸収スペクトルは非常にシャープであり、透明性の高い印刷物が得られる。…従来、インクジェットプリンタ用色材としては、上記特徴とインク設計が容易であるということで、染料が用いられた。」
(ウ) 甲20(Janet Best 編「Colour design Theories and applications」(2012年発行))
「CMYK:印刷業界で画像の再現に使用される減法混色プロセスであって、純度の高い透光性プロセスカラーインク(シアン、マゼンタ、イエロー及びブラック)が網点様に重ね刷りされて、様々な色及びトーンを表現する。」
(エ) 甲21(特開2012-242608号公報)
「【0033】ここで、第1の装飾層20aを形成する印刷インクとしては、光透過性を有し、屋外使用にも耐えられる有機溶剤系のアクリル樹脂インク、例えば、市販のエコソルインクMAXのESL3-CY、ESL3-MG、ESL3-YE、ESL3-BK(それぞれローランド社製)を用いることが望ましい。そして、かかる第1の装飾層20aを形成するには、例えば、インクジェットプリンタなどのインクジェット装置に、印刷インクをセットし、これを微滴化して表面フィルム12h上の所定場所に、吹き付け処理して行なうことが好ましい。」
上記によれば、本件出願日当時、溶剤インクジェット印刷においては、透光性(透明性)を有するCMYのインクが広く用いられていたものと認められるから、仮に、本件出願日当時、溶剤インクジェット印刷において非透光性のインクが用いられることがあったとしても、溶剤インクジェット印刷に対応しており、かつ、前記のとおり、溶剤インクジェット印刷が非透光性のインクを用いたものに限られるとの記載も示唆もみられない甲4の記載に接した当業者は、甲4は透光性を有するインクを用いた溶剤インクジェット印刷に対応しているものと容易に理解したといえる。
以上によると、甲4には「溶剤インクジェット印刷を施すことにより透光性の印刷層を形成することができる黒色の再帰反射フィルム」が記載されていると認められるから、甲4発明は、そのように認定するのが相当である。これと異なる本件審決の認定は誤りである。

(2)本件発明と甲4発明の一致点及び相違点の認定の誤りについて
甲4発明は、「図柄からなる透光性の印刷層」を形成していない点で本件発明と異なるが、甲4発明は、図柄からなる印刷層を形成することを想定していると認めることができる。
さらに、下記の各証拠には、それぞれ次の記載等がある。
(ア) 甲63(インターネット上の電子掲示板(uksignboards)への投稿記事(2011年2月15日))
「私は、反射フィルムの研究をしており、反射フィルムが大好きです。私は、いつも反射フィルムの実験をしていて、反射フィルムを使用した新しいアイデアを顧客に提案することに努めています。今回のバンは、これを反映する必要がありました…。これは、白く光る黒色反射材でして、…私は、その制作を実行することにしました。…私のバンは黒いので、黒色のフィルムに印刷すれば、微妙な虹色や透明感のあるデザインになり、夜に車の中からバンを見たときや、見る人の真後ろから太陽光がバンに当たったときに、きれいに発色することを期待していたのですが、見事にそのとおりになりました。」
また、甲63には、文字、図柄等が印刷された反射フィルムが車両に貼付されている様子を撮影した写真が掲載されている。
(イ) 甲65(フェイスブックへの投稿記事(2012年7月5日、同月6日及び2015年5月7日))
「このアイテムは、夜間には黒く見える反射性のある黒い素材に印刷されています。反射材の黒にフラッシュや強い光を当てると、実際にデザインが浮かび上がります。写真は、基本的に、左がフラッシュなしの状態、右がカメラにフラッシュを付けて撮影したものです。」
また、甲65には、黒色に写った素材を撮影した写真と素材上の文字、図柄等が明るく光って見える様子を撮影した写真を並べたものなどが掲載されている。
(ウ) 甲66の1(ユーチューブへの投稿記事(2015年1月7日))
「当社のステルスグラフィックス(又はゴーストグラフィックス)パッケージは、黒の反射性カットビニールとデジタル印刷されたグラフィックスで作られ、耐久性とUV保護のためにラミネート加工されています。反射性の視認性を備えつつ、昼間には落ち着いた外観に見えます。現在のデカールスキームをステルス車両に改装しましょう。新しいデザインにすることをお手伝いします。」
また、甲66の1には、文字、図柄等が印刷された反射性カットビニールが車両に貼付されている様子を撮影した動画が掲載されている。
上記によると、黒色の再帰反射フィルムに文字、図柄等からなる印刷層を形成することは、本件出願日当時の周知技術であったと認められる。以上に加え、上記のとおり甲4発明自体が図柄からなる印刷層を形成することを想定していることも併せ考慮すると、本件出願日当時の当業者は、甲4発明及び上記周知技術に基づいて、甲4発明に図柄からなる印刷層を形成するとの構成に容易に想到し得たものと認めるのが相当である。

(3)小括
以上によると、本件出願日当時の当業者は、甲4発明及び周知技術に基づいて、相違点に係る本件発明の構成に容易に想到することができたと認めるのが相当である。

7.コメント

審決では、甲4発明における印刷層について「透光性の印刷層を備える」とは認定されず、(透光性の印刷層を備える)本件発明の進歩性が肯定されたが、知財高裁では、甲4発明における印刷層について周知技術に基づき「透光性の印刷層を備える」と認定され、本件発明の進歩性が否定された事例である。
甲4には「溶剤インクジェット…印刷に対応しています」との記載があり、本件出願日当時、甲18等の記載から溶剤インクジェット印刷において透光性のインクが広く用いられていた事実が存在することに鑑みると、裁判所の判断は妥当であると考える。
実務上、本判決から学び得ることは、無効審判によって他人の特許を無効にしたい場合に、新規性を否定し得る同一技術の先行文献が見当たらないとしても、周知技術を丹念に積み上げることで、進歩性否定の方向にもっていくことが十分可能である、ということであろう。
なお、蛇足となるが、審査段階で「透光性の印刷層を備える」旨の限定が加えられて特許に至ったが、本件明細書等には「透光性の印刷層」が明示的に記載されておらず、また、「透光性の印刷層」は本件明細書等の記載から自明な事項とも考えられないため、そもそも当該補正は新規事項追加に該当するのではないか?との疑問が生じた。しかしながら、透光性でないと再帰反射する光を通すことができないと考えられることから、印刷業界の技術常識上、本件発明において「透光性の印刷層」が当然に導かれる可能性があり、新規事項追加とは判断されなかったのではと考えられた。

以上

(2022/06/27 執筆者:太田清子)

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