特許判例紹介
~刊行物に数値自体が開示されていたが、
その数値以下に限定することの記載や示唆はないとして動機付けを否定し、
進歩性否定の審決を取り消した事例~
令和2年(行ケ)第10044号 審決取消請求事件
原告:アーシャ ニュートリション サイエンシーズ,インコーポレイテッド
被告:特許庁長官
【請求認容(特許成立)】
■ポイント
パラメータ発明・数値限定発明において、パラメータ・数値自体を発明特定事項と捉え、これに着目できたという動機付けが認められない場合は、進歩性が肯定される傾向にある。
1.手続の経緯
平成26年5月12日 | 特許出願(発明の名称「脂質含有組成物およびその使用方法」、特願2014-99072号) (特願2011-506377号の分割出願) |
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平成27年12月17日 | 拒絶査定(新規性、進歩性及び明確性要件) |
平成28年4月20日 | 拒絶査定不服審判請求(不服2016-5871号) |
平成29年4月17日 | 拒絶理由通知(明確性要件及びサポート要件) |
同年11月9日 | 特許請求の範囲について手続補正 |
平成30年4月3日 | 第1次審決(請求棄却:明確性要件及びサポート要件) |
同年8月15日 | 原告が第1次審決の取消しを求める審決取消訴訟(平成30年(行ケ)第10117号事件)を提起 |
平成31年4月12日 | 前訴判決(請求認容:明確性要件及びサポート要件) |
令和元年5月28日 | (前訴判決の確定により、再開した不服2016-5871号事件の審理において)拒絶理由通知(新規性、進歩性、明確性要件、サポート要件及び実施可能要件) |
同年9月4日 | 特許請求の範囲について手続補正(「本件補正」) |
令和元年12月2日 | 審決(請求棄却:新規性及び進歩性) |
令和2年4月15日 | 審決取消訴訟を提起 |
2.特許請求の範囲の記載
【請求項19】
異なる供給源に由来する脂質の混合物を含む脂質含有配合物であって,前記配合物は,ある用量のω−6脂肪酸およびω−3脂肪酸の用量を含み,ω−6対ω−3の比が4:1以上であり:
(i)ω−3脂肪酸は,前記配合物中の総脂質の0.1~20重量%であるか;
または
(ii)ω−6脂肪酸の用量は,40g以下である,脂質含有配合物。
<参考>
【表1】
3.本件審決の理由の要旨
本願発明は,本願優先日前に頒布された刊行物5発明及び本願優先日当時の技術常識に基づいて,当業者が容易に発明をすることができたものであり,特許法29条1項3号又は同条2項の規定により特許を受けることができない。
(1)刊行物5発明
ω−3,ω−6脂肪酸をバランス良く摂取することで心臓病の循環器系疾患や乳癌,大腸癌などの疾病の予防や改善に効果がある,カツオ魚油からω−3脂肪酸を濃縮した油脂15gに300ppmの抗酸化剤を添加し,さらに月見草油を35g加えて混合油を作り,β−サイクロデキストリン100gに,水100mlを加えて撹拌後,該混合油を加えてホモジナイザーで混練し,エタノールで洗浄して,沈澱を集め,室温で減圧乾燥して混合油のサイクロデキストリン粉末を約70g得た後,該サイクロデキストリン粉末をドリンク剤に添加した含有脂質中のω−3,ω−6脂肪酸の比率が1:4であるドリンク剤組成物
(2)本願発明と刊行物5発明の一致点及び相違点
(一致点)
「異なる供給源に由来する脂質の混合物を含む脂質含有配合物であって,ω−6脂肪酸およびω−3脂肪酸を含み,ω-6対ω−3の比が4:1以上である,脂質含有配合物」である点。
(相違点1)
本願発明は,「配合物は,ある用量の ω−6脂肪酸および ω−3脂肪酸の用量を含み,ω−6対ω−3の比が4:1以上であり」と特定しているのに対して,刊行物5発明は,「含有脂質中のω−3,ω−6脂肪酸の比率が1:4である」であり,用量の特定がない点。
(相違点2)
本願発明は,「(i)ω−3脂肪酸は,前記配合物中の総脂質の0.1~20重量%であるか;または(ii)ω−6脂肪酸の用量は,40g以下である」と特定されているのに対して,刊行物5発明は,ω−3脂肪酸の組成物中の総脂質中の割合又はω−6脂肪酸の用量が明記されていない点。
4.原告の主張
(1)一致点の認定の誤り及び相違点の看過
刊行物5の実施例4には,ドリンク剤組成物の調製のために,ω−3脂肪酸の供給源としては,カツオ魚油をウィンタリングしてω−3脂肪酸を濃縮した油脂15g(エイコサペンタエン酸6.3%,ドコサヘキサエン酸26.9%)を使用したことの記載がある。・・・上記計算により求められたω−3脂肪酸とω−6脂肪酸の重量からω−3脂肪酸とω−6脂肪酸の比率を求めると,「1:5.7」(4.980g:28.385g)となる。この比率は,刊行物5の「含有脂質中のω−3,ω−6脂肪酸の比率は,ほぼ1:4であった。」との記載(11欄9行~10行)と整合しないから,刊行物5は,実施例4のドリンク剤が「含有脂質中のω−3,ω−6脂肪酸の比率が1:4である」との構成を有することを実質的に開示するものではない。
(2)相違点2の判断の誤り
刊行物5には,「ω−6脂肪酸の用量」を「40g以下」とすることについての記載はない。そして,刊行物5には,「最近の日本人の食生活は欧米型化が進み,肉類を中心とした食事の機会が大幅に増え,脂肪の摂取量については一日当り40gと増加し,」との記載(2欄17行~19行)はあるが,この記載は,単に脂肪の摂取量が近年増加している事実を述べたものにすぎず,ω−6脂肪酸の摂取量について示唆するものではない。まして,刊行物5には,「ω−6対ω−3の比が4:1以上」,「ω−6脂肪酸の用量は,40g以下」として,ω−6対ω−3のバランス(比率)とω−6の配合量の上限とを組み合わせる本願発明の技術的思想の示唆はない。また,本件優先日当時,「ω−6脂肪酸の用量は,40g以下」とすることが技術常識であったことを裏付ける証拠はない。
したがって,刊行物5には,「ω−6脂肪酸の用量は,40g以下」であること(相違点2に係る本願発明の構成)の記載や開示はなく,相違点2は,実質的な相違点というべきであるから,これと異なる本件審決の判断は誤りである。
5.被告の主張
(1)一致点の認定の誤り及び相違点の看過の主張に対し
刊行物5記載の実施例4に「含有脂質中の ω−3,ω−6脂肪酸の比率は,ほぼ1:4であった。」(11欄9行~10行)と明記されている以上,刊行物5に「含有脂質中のω−3,ω−6の脂肪酸の比率が1:4であるドリンク剤組成物」が開示されていないという原告の主張に理由がないことは明らかである。
(2)相違点2についての判断の誤りの主張に対し
刊行物5には,脂肪の摂取量については1日当たり40gと増加しているとの記載及びそれを問題であると認識していることの記載がある。
刊行物5発明は,脂質(脂肪)の取り過ぎの抑制(ω−6脂肪酸だけでなく,ω−3脂肪酸も過剰摂取は問題であること)を前提に,ω−6脂肪酸とω−3脂肪酸をバランス良く摂取することを技術思想とする発明であるから,脂質の一部である不飽和脂肪酸の更に一部であるω−6脂肪酸を一定以下に抑えることは当然であり,脂質全体として取り過ぎであるとの認識である40gという値以下と特定することには強い動機付けがある(乙3)。
しかも,1日の脂質摂取は,刊行物5発明のドリンク剤組成物以外の食品からも生じるのであるから,1日又は1回当たりω−6脂肪酸40g以下との上限を設定することは,当業者が容易になし得る技術的事項である。
6.裁判所の判断
(1)一致点の認定の誤り及び相違点の看過について
刊行物5には,上記記載に続けて,「このサイクロデキストリン粉末を次表に示す組成のドリンク剤に添加した。この時のサイクロデキストリン粉末のドリンク剤への分散は3%程度まで容易であった。また,含有脂質中のω−3,ω−6脂肪酸の比率は,ほぼ1:4であった。」との記載がある。これらの記載によれば,上記記載中の「含有脂質中のω−3,ω−6脂肪酸の比率は,ほぼ1:4であった。」との記載は,実施例4の表に示す組成の「ドリンク剤」に上記「混合油」のサイクロデキストリン粉末を加えたものの含有脂質を測定した結果,ω−3,ω−6脂肪酸の比率は,ほぼ1:4であったことを示したものと理解できる。一方で,刊行物5には,脂肪酸組成の測定方法に関する記載はないが,・・・本願優先日当時,食品に含まれる脂質の脂肪酸組成の測定について,このようなガスクロマトグラフによる測定方法が規格として存在することは技術常識であったことが認められる。
上記技術常識を踏まえると,刊行物5に接した当業者は,刊行物5の「含有脂質中のω−3,ω−6脂肪酸の比率は,ほぼ1:4であった。」との記載は,ガスクロマトグラフにより「ドリンク剤」の含有脂質を測定した結果,ω−3,ω−6脂肪酸の比率は,ほぼ1:4であったことを記載したものと理解するものといえるから,刊行物5には,刊行物5記載のドリンク剤が「含有脂質中のω−3,ω−6脂肪酸の比率が1:4である」との構成を有することの開示があるものと認められる。
(2)相違点2の判断の誤りについて
刊行物5には,刊行物5記載の高度不飽和脂肪酸を含む食品(「本発明」)の技術的意義に関し,従来は,高血圧,心臓病の循環器系疾患や乳癌,大腸癌などの疾病の原因は,脂肪酸の「摂取過多」と考えられていたが,研究が進むにつれて,脂肪を構成する不飽和脂肪酸の種類の摂取アンバランスによることが判明したこと,現在の日本人の食事はω−6脂肪酸の摂取に偏っており,この状態(ω−6脂肪酸の「過剰摂取」)を改善するためにω−3脂肪酸などを高濃度に濃縮して添加した食品や栄養補助剤などが開発されたが,これらの製品を過度に摂取した場合,逆にω−3脂肪酸の「過剰摂取」につながり新たな疾病の原因となるため,ω−3,ω−6脂肪酸の適正な比率での摂取が必要であることから,「本発明」は,ω−3脂肪酸とω−6脂肪酸をバランス良く摂取することができ,前述の疾病の予防や改善に効果が期待されるように,脂質の脂肪酸組成を適正比率に調整した食品を提供することを目的とし,その課題を解決するための手段として,脂肪酸組成をω−3脂肪酸とω−6脂肪酸との比が1:1~1:5になるように調整した高度不飽和脂肪酸を含む構成を採用し,これによりω−3脂肪酸とω−6脂肪酸をバランス良く摂取することができ,高血圧,心臓病の循環器系疾患や乳癌,大腸癌などの疾病の予防や改善の効果が期待されることについての開示があることが認められる。また,前記⑴の刊行物5の記載によれば,刊行物5において,「過剰摂取」の用語は,ω−3脂肪酸,ω−6脂肪酸が適正比率(1:1~1:5)の範囲を基準として,「この範囲よりも小さいときは,ω−3脂肪酸が過剰になり,この範囲よりも大きいときはω−6脂肪酸が過剰にな」ると述べていること(前記⑴カ)に照らすと,ω−3脂肪酸とω−6脂肪酸との摂取バランス(比率)が崩れた状態を表現するために用いており,一方で,「摂取量」が多い状態を表現するときは「摂取過多」の用語を用い,「摂取量」との関係では,「過剰摂取」の用語を用いていないことが認められる。
以上を前提に検討すると,刊行物5における「最近の日本人の食生活は欧米型化が進み,肉類を中心とした食事の機会が大幅に増え,脂肪の摂取量については一日当り40gと増加し,それに伴い,疾病の種類も変化し,高血圧,心臓病の循環器系疾患や乳癌,大腸癌などが増加して,こちらも欧米型化になり,大きな社会問題になっている。」との記載は,それに引き続き「しかし,研究が進むにつれて,脂肪を構成する不飽和脂肪酸の種類の摂取アンバランスによることが判明した。」などの記載があることに照らすと,「脂肪の摂取量」が「一日当り40g」に増加したこと自体が問題であることを述べたり,それを改善すべきことを示唆するものではないと理解するのが自然である。
また,刊行物5の記載全体をみても,刊行物5において,脂肪の摂取量を1日当たり40gに差し控えるべきことや,「ω−6脂肪酸の用量」は,1日又は1回当たり「40g以下」とすべきことについての記載や示唆はない。
次に,本件審決が述べるように「脂質の大量の摂取を控えること」自体が健康上の技術常識であるといえるとしても,脂質の適正な摂取量は,年齢,性別,エネルギー摂取量等の要素によって変わり得るものと考えられるから,そのことから直ちに「脂肪の摂取量」を1日当り40g以下とすることが技術常識であることを導出することはできないし,それが技術常識であることを前提に「ω−6脂肪酸の用量」は,1日又は1回当たり「40g以下」とすることが技術常識であるということはできない。本件においては,他に「ω−6脂肪酸の用量は,40g以下」とすることが技術常識であることを認めるに足りる証拠はない。
前記認定を総合すると,刊行物5には,本件審決のいう技術常識を踏まえても,刊行物5発明に含有する「ω−6脂肪酸の用量は,40g以下であること」についての実質的な開示があるものと認めることはできない。
そうすると,刊行物5発明が「ω−6脂肪酸の用量は,40g以下」であるとの構成(相違点2に係る本願発明の構成)を有することは認められないから,相違点2は実質的な相違点であるものと認められる。
これと異なる本件審決の判断は誤りである。
(3)小括
以上のとおり,本件審決には相違点2の判断に誤りがあるから,本願発明は刊行物5発明と同一の発明であると認めることはできないし,また,当業者が刊行物5発明及び技術常識に基づいて容易に発明をすることができたものと認めることはできない。
したがって,原告主張の取消事由1は理由がある。
7.コメント
本判決は、刊行物5に数値(40g)自体が開示されていたが、その数値以下(40g以下)に限定することの記載や示唆はないとして動機付けを否定し、本願発明の進歩性を認めたものであり、パラメータ・数値自体に着目できたという動機付けが認められない場合は、進歩性が肯定され得ることを明確に打ち出した。つまり、「パラメータ発明」「数値限定発明」については、他の近時の裁判例(例えば、令和元年(行ケ)第 10137 号 セレコキシブ組成物事件)からみても、現状では進歩性が認められやすい傾向にあるといえるのではないだろうか。
「パラメータ発明」「数値限定発明」は、化学・医薬品や食品等の分野では、特許取得のための有効な落としどころとなる場合もあり、プロモーションのための特許取得のみならず、特許権による防御も視野に入れて積極的に検討すべきと考える。
以上
(2022/10/12 執筆者:太田清子)